楽譜を読む力。
譜読みの力は個人差あります。
基本的に、練習がつらいと言っていることの大半は
「譜読みがつらい」
なんです。
生徒にもよく言いますが、
譜読みは地獄の作業です。
「弾けるようになったら、楽しくなってきた!」
というのは、譜読みが終わった、ということです。
譜読みが終わってから、やっと本当の練習が始まるのです。
先生だって、譜読みは楽しいばかりではないです。
先生と生徒の差は、譜読みのスピードでしかないと思います。
譜読みは、語学と同じです。
英語の長文も、書いたり読んだりしているうちに、急にストンと頭に落ちてくるように、分かるようになる。
音符も、
読んだり書いたり弾いたりしているうちに、ある日急に楽譜がスラスラ読めるようになります。
壁にぶつかり続けているうちに、壁をスッと越えられる日が、突如やってくる。
レッスンをしていると、
「楽譜が読めないので、覚えるしかないんです!」
と、音符をすぐ覚えようとする方。
いわゆる『暗譜読み』をする方が、必ずいます。
『暗譜読み』の方のレッスンは、楽譜を見てくれないので、レッスンに不都合が生じます。
「楽譜のこの部分なんだけど…」
と話をしようとすると
「それってどこですか?!」
とパニックになり、最初から弾き出す、もしくは初見ですか?というくらいに、つっかえながら弾く。
あのねえ。
それじゃレッスンにならないよ。
せめて、自分が楽譜のどこを弾いているか?を考えて弾きなさいよー。
こういう方には譜読みのやり方を教えるだけで、レッスンが終わってしまいます。
結局、表現技術は全く磨かれずにレッスンが終わります。
こうなってしまう原因は
「覚えないと弾けない」
という思いこみです。
覚えることに、エネルギーを使ってしまっています。
根本的には、導入期に問題があります。
楽譜を目で追うのが簡単なうちに、譜読みを習慣づけられなかった。
楽譜を見ずに、指の動きを目で見て弾いてしまっていた。
特に、親が弾き方をしっかり教え込んでしまうと、先生は見逃しやすいんです…
どこまでが生徒本人の力なのか、先生も子どもも分からなくなってしまう。
そして取り組み方、考え方の自立が、うまくいかなくなってしまう。
覚えないと弾けない曲は、もちろんあります。
打鍵スピードの速い曲や、エチュードなどは、覚えないと弾けません。
でも何回も弾いているうちに勝手に覚えるので、覚えることにエネルギーを使うことはありません。
覚えようと思って覚えるのは、本番前くらいです。日常的にはやりません。
だから、私は保護者の付き添いや、家庭で練習する際の伴走は、ない方がいいと思います。
『誰か』の存在は、出来ない言い訳にしかならないです。
最初は分からなくて。
気づくのが遅くなってしまいました。
気づいてあげられなかったことに、申し訳ない気持ちでいます。
でも、今からでも遅くはない。という気持ちで、日々レッスンをしています。
今回の発表会。
2小節〜4小節〜8小節単位で譜読みを進めてきました。
譜読みが終わったところは、確実に表現技術を磨くことが出来るから。
終わらなかったら、弾けるところまでで終わらせる。
読解力、読むスピード。
個人差があります。
個人差があるだけです。
ただの個人差を、才能だと呼んではいけないと思います。
いつか字が読めて、漫画が読めて、小説が読めるように。
「楽譜が読めない」
なんて自分を決めつけて、考えの幅を狭くするのはもったいないと思います。
楽譜と向き合うことを放棄する言い訳として
「楽譜が読めない」
なんて言っていたら、長々と説教しております。
思い込んでしまっている相手には、なかなか響かないですけど。
その週のレッスンは、頑張って譜読みするようになるけど、翌週には忘れて、また戻って。
また説教…出来るようになる…忘れる…また説教…のループになることもあります。
いいんです。
何回でも、何十回でも、理解してくれるまで伝えるのみです。
いつかこの無限地獄みたいなループから抜け出せる日が来ます。
それが理解できた日になります。
自分はこうだ!なんて、特にネガティブな思い込みはいらないと思います。
練習のジャマです。
私のやり方は「できない、弾けない」というネガティブな気持ちに寄り添うものではないです。
「できない」ことを「できる」ようにするのが、私の仕事です。
寄り添われないことに傷つき
「上達のことだけ考えてほしくない」
と言われたとしても。
生徒が上達することを考えるのが、私の仕事です。
私はカウンセラーっぽいかもしれない。
保育士っぽいかもしれない。
でも、カウンセリングのプロ、保育士のプロ。それぞれの専門分野があるように。
私の専門は、ピアノだけです。
事情や目標があるのなら、それはきちんと言語化し、伝えてほしいと思います。
目標に向かって進むやり方は、いっしょに考えましょう。